開壁の辞

壁アドベントカレンダー、1日目の記事。

「12月1日時点で埋まっていなかったらカレンダーごと削除する」という公約を掲げてスタートした本カレンダーだが、タイムリミットの4時間前にして生き残りが決定した。ご登録いただいた皆様、本当にありがとうございます。

まさか埋まるとは思わなかったし、率直に言って後悔している。登録をした人の大半が同じ気持ちなので、そこはみんな安心してほしい。

遡ること2年前にも壁カレンダーをやったことがある。

kyabatalian.hatenablog.com

このころはボルダリングにドハマリしており、純粋にボルダリングの記事が集まればいいなと思っていた。結果、本当に無茶苦茶なことになり、ある意味で伝説的な盛り上がりをみせた。中にはボルダリングや山登りなど有益な記事もあるので、ご興味のある方は参照されたい。

先に行っておくが、今回も同じ土俵で勝負するのはやめたほうがいい。ただただ、粛々と、それぞれが思う「壁」について書くのがいい。普通に有益なことととか、ボルダリングのこととか、歓迎されると思う。カレンダー作成者としては、ここで書かれた記事が然るべき評価を得られるよう尽力するつもりである。少なくとも最終日に謝辞と感想を書かせていただきたい。

ただ、登録したからには、穴を開けないでくれると嬉しい。どんなに内容が薄くとも、書かないより、書くほうがいい。そういう意味で、登録した各位は、登録していないその他大勢よりも、すでに優位である。そしてこの1日目の記事は、ハードルを下げるために重要な位置づけになると自覚している。

さて、壁といえば、ひとつ思い出深い壁がある。

自分の地元は京都の山奥にある田舎の町だった。
夜も21時を過ぎれば真の暗闇と静けさに包まれ、虫の声しか聞こえない環境である。実家は築100年はゆうに超えるであろう古民家で、歴史と広さだけは無駄にあるが、住居としての機能は著しく劣化していた。壁は薄いし立て付けも悪く、冬ともなると外気温と室温が均一に保たれる。日本海側の冬は想像を絶する寒さで、水道は凍るし、積雪で屋根が歪み、扉が開かなくなる。

そんな実家を外壁のうち、一部が「土壁」だったのである。
土壁というのは、その名のとおり土を塗り固めて作った壁であり、表面は経年劣化によりザラザラしていた。幼少期に弟とその周辺を走り回り、たびたび肌をこすらせて擦りむいていた。擦りむいた痕は複数の傷口になりグロテスクで、入浴地には猛烈に染みて痛かった。「なぜこんなにもザラザラなのだろう?」と不思議に思っていた。

と、よくよく思い返すと、自分の地元は関西である。なので、「ザラザラなのだろう?」ではなく、「ザラザラすぎひん?」だったかもしれない。最も、関西とはいっても京都の山奥で、一般に言われる関西弁とは程遠い、独自に近い方言だったようにも記憶している。

年齢的なことも鑑みると、そもそも、疑問を持つほどでもなかったかもしれない。ただ事実のみを受け入れた末の「ザラザラやん」だったかもしれない。だからといって、そのときの感覚は色褪せることなく、ときに鮮明に思い出されるものである。

とはいえ、「ザラザラ」という質感を理解することすらままならなかった可能性もある。何の感情もなく、ただただ肌を擦りむき、壁の質感に対して無自覚だったのかもしれない。そのように考えていくと、自分の記憶、特に感覚的な記憶は徐々に輪郭を失っていくものである。

本当のことを言おう。ツルツルだった。

途中から気づいていた。完全に。あ、ツルツルだったな、って。無論、走り回って肌をこすらせても擦りむくなどということは、まずない。「シュッ」ってなる。汗とかかいてて微妙に摩擦があると、「ブブッ」みたいなんなる。

悪かったとは思っている。自分自身、途中までは本当にザラザラだったと思っていたし、いま自分が一番ビックリしている。というか、壁のことを覚えてる人のほうが稀だと思う。真夏の小学校でコンクリートの壁にへばりついて「ヒイ〜涼し〜」ってやってたとか、それくらいしかない。

ってか、人って話してるうちに、あ、これやっぱり違うかも、ってなることってあるし、むしろそうゆうのって人間としてほんま自然なことやと思うし、そういうのいちいちなんかゆってくるやつマジ無理。

そういうかんじ。あとよろしく。